今回は活動とはあまり関係のない内容となってしまいますが、
情報発信の際に気を付けることの一つとして書きたいと思います。
Googleで検索する際、検索したい言葉を入力するとその言葉と関連の高い言葉が、
勝手にずらっと表示される機能があります。
オートコンプリートとかサジェストとかいうらしいです。
例えば私のパソコンで「牛タン」と入れると下には、
「利休、仙台、ねぎし、喜助、レシピ、、、」という順番で表示されます。
これを「世間で多く検索されている言葉の組み合わせである」
と思い込んでいる方をときたま見受けることがあるのですが、
実際はその人がいる地域によって表示される言葉は違うのです。
このことを知らないと、思わぬ勘違いをしてしまいます。
先日、ある研究発表会でその勘違いをしてしまっている方がいました。
「『みかん狩り』と入力すると次の単語として『千葉』が一番上に表示される。
それくらい千葉のみかん狩りは全国的にも有名なのです。」と。
残念ながら私のパソコンでは、「みかん狩り」と入力すると、
一番上に「関東」と表示されます。
きっと関西方面にお住いの方であれば、また違うと思います。
さらにパーソナライズというものもあり、この機能が発揮されていると
使用するパソコンによっても結果が変わってくるのだそうです。
直前に検索した言葉とかから、その人が知りたいであろう情報に
近づけようとしてくれる機能で、携帯電話の予測変換と似たようなものですね。
これらの機能がどの程度発揮されているのかはわかりませんが、
「検索したらオートコンプリートの上位に出てきた」=「世間で認知されてる」
ではないということを注意しなくてはならないな、と思いました。
「海外SEO情報ブログ」に上記のことがわかりやすく書いてありました。
もう少し詳しく知りたい方はご覧ください。
2014年8月7日木曜日
2014年7月26日土曜日
行政職員と民間人
後学のために色々と本を読んでみているのですが、
『社会を変える仕事をしよう』(日本実業出版社、佐野章二著)
という本を読んで、特に面白いと感じた部分があったので、
その部分について自分が感じたことを含めて書いてみます。
佐野章二さんは(有)ビッグイシュー日本の代表の方で、
この本もビッグイシュー日本のことを中心に、社会的企業についてや、
社会問題解決に向けた取り組みについてなどが書かれていて、
非常に興味深い内容となっています。
その本の中にこんな話が載っていました。
==以下は内容を要約したものです==
阪神淡路大震災の時に、500人いる避難所に300枚の毛布が届いた。
その避難所の責任者である行政の職員は不公平になるといけない、と
その毛布を全部倉庫の中に保管した。
これに対してボランティアの人が責任者をしていた避難所では、
届いた毛布を真ん中に山積みにして、事情を説明した上で、
譲り合って毛布を取るようにお願いした。
するとお年寄りや子ども、妊婦さんや病人など弱い立場の人から順に、
毛布がいきわたった。
==要約ここまで==
この話は結構有名な話だそうで、知ってる方もいらっしゃるかもしれません。
これを読んで「ホント行政は融通がきかなくてダメだなぁ」なんて、
考えちゃう人もいるかもしれませんが、著者の佐野さんはこの話で
行政を批判したいわけではないことは確かです。
この内容の後にこのように書かれています。
==以下引用(P154の1行目~)==
ここには固い行政マンと柔軟なボランティアの違いという以上に、行政とボランティアの仕事の原理や方法の違いが現われている。
行政は公平、平等を原理とするので、全体の状況が見えるまでは動けない。すぐ動くと不公平になるかもしれないからだ。これに対し、ボランティアは即時・即応、臨機応変を旨としてすぐに動ける反面、偏りを生む可能性がある。手法的には、法律に従う行政は「一律、画一、一元性、法律遵守、前例主義」になる。それに対して、ボランティアは「多様、個別、多元性、先駆的、実験的」という動き方ができるという特徴をもつ。
==引用ここまで==
どちらが良い悪いではなくて、行政と民間にはそれぞれに特徴があり、
その特徴を活かせるような役割分担をして社会問題に対応していくことが、
この複雑化・多様化した世の中では必要であるってことですよね。
私は今、地域おこし協力隊として民間人の立場で市から委嘱を受けています。
行政職員ではないのですが、現在は役所の中に机を置かせていただいてますし、
役所のお仕事を手伝わせていただいてもいます。
そんな立ち位置にいるわけですから、行政と民間それぞれの特徴の良い部分を、
うまく融合させて活動に繋げていくのが理想的なのだと思います。
しかし場合によってはその逆に、それぞれの特徴の良い部分を潰し合ってしまい、
実のある動きをとれなくなる危険もある、とも感じています。
ご縁があって館山に移住し、活動させていただいているわけですから、
自分の立場やスタンスをしっかりと見極めて活動していけたらと思っています。
『社会を変える仕事をしよう』(日本実業出版社、佐野章二著)
という本を読んで、特に面白いと感じた部分があったので、
その部分について自分が感じたことを含めて書いてみます。
佐野章二さんは(有)ビッグイシュー日本の代表の方で、
この本もビッグイシュー日本のことを中心に、社会的企業についてや、
社会問題解決に向けた取り組みについてなどが書かれていて、
非常に興味深い内容となっています。
その本の中にこんな話が載っていました。
==以下は内容を要約したものです==
阪神淡路大震災の時に、500人いる避難所に300枚の毛布が届いた。
その避難所の責任者である行政の職員は不公平になるといけない、と
その毛布を全部倉庫の中に保管した。
これに対してボランティアの人が責任者をしていた避難所では、
届いた毛布を真ん中に山積みにして、事情を説明した上で、
譲り合って毛布を取るようにお願いした。
するとお年寄りや子ども、妊婦さんや病人など弱い立場の人から順に、
毛布がいきわたった。
==要約ここまで==
この話は結構有名な話だそうで、知ってる方もいらっしゃるかもしれません。
これを読んで「ホント行政は融通がきかなくてダメだなぁ」なんて、
考えちゃう人もいるかもしれませんが、著者の佐野さんはこの話で
行政を批判したいわけではないことは確かです。
この内容の後にこのように書かれています。
==以下引用(P154の1行目~)==
ここには固い行政マンと柔軟なボランティアの違いという以上に、行政とボランティアの仕事の原理や方法の違いが現われている。
行政は公平、平等を原理とするので、全体の状況が見えるまでは動けない。すぐ動くと不公平になるかもしれないからだ。これに対し、ボランティアは即時・即応、臨機応変を旨としてすぐに動ける反面、偏りを生む可能性がある。手法的には、法律に従う行政は「一律、画一、一元性、法律遵守、前例主義」になる。それに対して、ボランティアは「多様、個別、多元性、先駆的、実験的」という動き方ができるという特徴をもつ。
==引用ここまで==
どちらが良い悪いではなくて、行政と民間にはそれぞれに特徴があり、
その特徴を活かせるような役割分担をして社会問題に対応していくことが、
この複雑化・多様化した世の中では必要であるってことですよね。
私は今、地域おこし協力隊として民間人の立場で市から委嘱を受けています。
行政職員ではないのですが、現在は役所の中に机を置かせていただいてますし、
役所のお仕事を手伝わせていただいてもいます。
そんな立ち位置にいるわけですから、行政と民間それぞれの特徴の良い部分を、
うまく融合させて活動に繋げていくのが理想的なのだと思います。
しかし場合によってはその逆に、それぞれの特徴の良い部分を潰し合ってしまい、
実のある動きをとれなくなる危険もある、とも感じています。
ご縁があって館山に移住し、活動させていただいているわけですから、
自分の立場やスタンスをしっかりと見極めて活動していけたらと思っています。
2014年7月23日水曜日
大田区立館山さざなみ学校
少し前ですが、「大田区立館山さざなみ学校」
という学校へ訪問する機会がありました。
さざなみ学校とは、小学3~6年生までの肥満、ぜん息、偏食、 虚弱の
悩みを持つ子どもたちが、親元を離れ、 全寮制の寄宿舎で生活しながら
自分の「健康回復」のために学習する学校です。
特別支援学校の一つとのこと。知りませんでした。
(詳しくはさざなみ学校のHPをご覧ください)
大田区立ですから、児童たちは東京都大田区民です。
都会から離れ館山で集団生活を送ることで、 生活習慣はもちろんのこと、
自主的・実践的な態度も身につけることができるそうです。
この学校の近隣農家さんで、「農育」 に取り組んでらっしゃる方がいます。
畑で収穫体験を行ったり、 農家さんが学校で野菜について話したり
といった取り組みを継続的に行ってらっしゃいます。
その方の紹介でさざなみ学校にお邪魔させていただいたのですが、
その農家さんと何度も会っている児童たちはかなり打ち解けてい る様子でした。
この学校の給食献立を考えている栄養士の先生とお話しする機会も あり、
色々と興味深いお話を伺うことができました。
全寮制ですから、1日3食が給食です。
健康回復が目的である上に、偏食傾向をもった児童もいるため、
献立を考えるのもかなり大変だろうと思います。
その先生のお話で特に印象に残ったのは、
「顔の知っている農家さんが育てた野菜であれば、 子どもたちも食べたがる」
という話でした。
偏食傾向の児童でも、収穫体験をし、 その農家さんから野菜についての話を聞くと、
いつもは食べない野菜でも「その農家さんが作ったのなら食べる」 となるそうです。
これははっきりと目に見える「食育・農育」 の形だなと感じました。
こういった学校が館山にあることを知れたのも大きな収穫でしたし 、
食育・ 農育の一つの形を目の当たりにできたのも非常にためになりました 。
ありがとうございました。
【農家さんが児童に野菜について話している様子】
2014年7月16日水曜日
食のまちづくりに関しての勉強(4)
「勉強」というとやっぱり言い過ぎのような気がしますが、基本的な知識が足りないので、
本とかWebとかで色々と読み漁っております。
頭でっかち傾向のある私は、考えるばかりで答えが出ずダメダメなのですが、
その考えをまとめるため、そしてその文章を人の目にさらすことで意識を強め、
何がしかの答えに近づけるようにブログに書いちゃおうと思います。
ある本の小見出しに『「農家を守る=農業を守る」ではない!』と書かれていて、
「なるほど、確かに」と思いました。
本の内容はさておき、「農家を守る」と「農業を守る」はかぶる部分はあれど、
相反する部分もあることは確かなような気がします。
特に現在の日本の農家さんは、多くが高齢者となっています。
父親や祖父の代からその土地を耕し、これまでのやり方で数十年も農業を行ってきました。
なので今起ころうとしている大きな変化になかなか対応しきれない人が多いのも事実です。
しかし日本のこれからの農業を考えると、これまでのやり方を変えねばならず、
それは場合によってはこれまでずっと農業をしてきたベテラン高齢農家さんを、
ある意味排除するような形になってしまうかもしれません。
耕作放棄地が増えてきているのは、農業をやる人が減ってきているから。
農業をやる人が減ってきているのは、農業はしんどくて儲からないから。
という論理が成り立つとすれば、「では農業をしんどくなくて儲かるようにしよう」
という風に考えるのは当たり前のような気もします。
しかし農業には、「しんどくて儲からなくてもやる意味」があることも確かです。
日本の文化を守るためであったり、自然環境や景観をまもるためであったり。
農業を産業として自由競争で儲かることができる仕組みにしていこう、という考えと、
農業を公共・福祉事業と考えてみんなで支えていきましょう、という考えと、
二者択一ではなく、バランスを取らなくてはならないことはわかるのですが、
私はやはり、少なくとも優先順位は必要な気がするのです。
色々な意味で国にゆとりがあれば「両方同時に進めていきましょう」で
両方ともうまくいく可能性も高いとは思うのですが、
現在の日本は、色々な意味でゆとりがない国だと思うのです。
Aを作るのに100円かかります、Bを作るのにも100円かかります。
両方必要であることはみんなわかっています。
といった状況で、200円持っているのなら両方の材料買って両方作れば良いけど、
100円しか持っていない場合はどうでしょう?
AとBの材料をバランスよく50円ずつ買いました。
結果AもBも作れませんでした、ってのはいかがなものかと思うのです。
これは別にお金だけのことを言いたいわけではなく、リソース全体のことです。
お金も人もエネルギーも、無限にあるならごり押しでも良いのでしょう。
しかしそれらが限られていて、しかもあまり多くないって時は、
何か作戦を考えなくてはならないと思うのです。
で、その作戦で成功していると思われるのは、一極集中・一点突破ではないかと思います。
少ないリソースでも、何かに集中して注ぐことで他より優れることができるのかな、と。
その例としてオランダが面白い気がします。たまたまWebでみつけました。
オランダの農地面積は日本の半分以下なのに、農業輸出がアメリカに次ぐ世界2位だそうです。
「え?面積小さいのにどうやってそんなことができるの?」と思いましたら、輸出額が多いのは
観賞用の花卉やタバコ、チーズで、それらの原材料は輸入しているとのこと。
つまり加工して付加価値つけて売る、ってビジネスモデルなのですね。
さらにオランダは、自分の国で栽培している野菜もそれなりに頑張っているのですが、
それも土地が狭いもんだから作る品目をかなり限って栽培しているそうです。
ものすごい割り切り方だなぁ、と思いました。
国としてこれだけ割り切ってやっていくのは文化だろうなぁ、とも思います。
日本とは文化も状況も何もかも違うわけですし、別にオランダのやり方が良いから、
そのやり方に習うべきだ、と言いたいわけでもないです。
というよりも、上に述べてきたことは「資本主義の中で国際競争に挑むのであれば」
という前提での話であり、別な選択肢として「競争をやめる」という方法もあると思います。
私的には、それができるのが一番だと考えていたりもします。
(けどそれは土台無理な話なので、いったん置いておきまして。)
ちょっと話を広げすぎましたので、突然ですが無理やりまとめます。
あれもこれもそれも、全員の都合の良いように色々とことをバランス良くやれるに
越したことはないのはわかっていますが、それはゆとりがある場合のみ。
つまりこれまでの日本だったらそれも良かったのだと思います。
けどそのゆとりがなくなった今、そのやり方で競争に勝つことは無理でしょう。
そしてその競争をしないというのも無理でしょうし、
「競争に負けても良いや」と考えるのも無理でしょう。
で、勝たなきゃいけないならやっぱり取捨選択して優先順位つけて、
限りあるリソースを一極集中して戦う方法しかないんじゃないかな、と。
けどその取捨選択したり優先順位つけたりするのが、色々な文化・慣例・しがらみなんかで
なかなかできない状況にあるんだろうなぁ、と思うわけです。
国という大きな枠組みでなくても、市町村単位でも、場合によっては家族とか個人単位でも、
同じことが言えるのかもしれませんね。
うーん、文章の出だしと最後がちょっとズレちゃった気もしますが、ご容赦下さい。
本とかWebとかで色々と読み漁っております。
頭でっかち傾向のある私は、考えるばかりで答えが出ずダメダメなのですが、
その考えをまとめるため、そしてその文章を人の目にさらすことで意識を強め、
何がしかの答えに近づけるようにブログに書いちゃおうと思います。
ある本の小見出しに『「農家を守る=農業を守る」ではない!』と書かれていて、
「なるほど、確かに」と思いました。
本の内容はさておき、「農家を守る」と「農業を守る」はかぶる部分はあれど、
相反する部分もあることは確かなような気がします。
特に現在の日本の農家さんは、多くが高齢者となっています。
父親や祖父の代からその土地を耕し、これまでのやり方で数十年も農業を行ってきました。
なので今起ころうとしている大きな変化になかなか対応しきれない人が多いのも事実です。
しかし日本のこれからの農業を考えると、これまでのやり方を変えねばならず、
それは場合によってはこれまでずっと農業をしてきたベテラン高齢農家さんを、
ある意味排除するような形になってしまうかもしれません。
耕作放棄地が増えてきているのは、農業をやる人が減ってきているから。
農業をやる人が減ってきているのは、農業はしんどくて儲からないから。
という論理が成り立つとすれば、「では農業をしんどくなくて儲かるようにしよう」
という風に考えるのは当たり前のような気もします。
しかし農業には、「しんどくて儲からなくてもやる意味」があることも確かです。
日本の文化を守るためであったり、自然環境や景観をまもるためであったり。
農業を産業として自由競争で儲かることができる仕組みにしていこう、という考えと、
農業を公共・福祉事業と考えてみんなで支えていきましょう、という考えと、
二者択一ではなく、バランスを取らなくてはならないことはわかるのですが、
私はやはり、少なくとも優先順位は必要な気がするのです。
色々な意味で国にゆとりがあれば「両方同時に進めていきましょう」で
両方ともうまくいく可能性も高いとは思うのですが、
現在の日本は、色々な意味でゆとりがない国だと思うのです。
Aを作るのに100円かかります、Bを作るのにも100円かかります。
両方必要であることはみんなわかっています。
といった状況で、200円持っているのなら両方の材料買って両方作れば良いけど、
100円しか持っていない場合はどうでしょう?
AとBの材料をバランスよく50円ずつ買いました。
結果AもBも作れませんでした、ってのはいかがなものかと思うのです。
これは別にお金だけのことを言いたいわけではなく、リソース全体のことです。
お金も人もエネルギーも、無限にあるならごり押しでも良いのでしょう。
しかしそれらが限られていて、しかもあまり多くないって時は、
何か作戦を考えなくてはならないと思うのです。
で、その作戦で成功していると思われるのは、一極集中・一点突破ではないかと思います。
少ないリソースでも、何かに集中して注ぐことで他より優れることができるのかな、と。
その例としてオランダが面白い気がします。たまたまWebでみつけました。
オランダの農地面積は日本の半分以下なのに、農業輸出がアメリカに次ぐ世界2位だそうです。
「え?面積小さいのにどうやってそんなことができるの?」と思いましたら、輸出額が多いのは
観賞用の花卉やタバコ、チーズで、それらの原材料は輸入しているとのこと。
つまり加工して付加価値つけて売る、ってビジネスモデルなのですね。
さらにオランダは、自分の国で栽培している野菜もそれなりに頑張っているのですが、
それも土地が狭いもんだから作る品目をかなり限って栽培しているそうです。
ものすごい割り切り方だなぁ、と思いました。
国としてこれだけ割り切ってやっていくのは文化だろうなぁ、とも思います。
日本とは文化も状況も何もかも違うわけですし、別にオランダのやり方が良いから、
そのやり方に習うべきだ、と言いたいわけでもないです。
というよりも、上に述べてきたことは「資本主義の中で国際競争に挑むのであれば」
という前提での話であり、別な選択肢として「競争をやめる」という方法もあると思います。
私的には、それができるのが一番だと考えていたりもします。
(けどそれは土台無理な話なので、いったん置いておきまして。)
ちょっと話を広げすぎましたので、突然ですが無理やりまとめます。
あれもこれもそれも、全員の都合の良いように色々とことをバランス良くやれるに
越したことはないのはわかっていますが、それはゆとりがある場合のみ。
つまりこれまでの日本だったらそれも良かったのだと思います。
けどそのゆとりがなくなった今、そのやり方で競争に勝つことは無理でしょう。
そしてその競争をしないというのも無理でしょうし、
「競争に負けても良いや」と考えるのも無理でしょう。
で、勝たなきゃいけないならやっぱり取捨選択して優先順位つけて、
限りあるリソースを一極集中して戦う方法しかないんじゃないかな、と。
けどその取捨選択したり優先順位つけたりするのが、色々な文化・慣例・しがらみなんかで
なかなかできない状況にあるんだろうなぁ、と思うわけです。
国という大きな枠組みでなくても、市町村単位でも、場合によっては家族とか個人単位でも、
同じことが言えるのかもしれませんね。
うーん、文章の出だしと最後がちょっとズレちゃった気もしますが、ご容赦下さい。
2014年7月2日水曜日
「地域力創造と地域おこしのヒント」第5回
総務省が開催している連続講座「地域力創造と地域おこしのヒント」の
第5回目の講義を受講してきました。
今回の内容はそれなりに身近に感じることができる内容でしたが、
非常に考えさせられる内容でもありました。
これまではどちらかというと、「地方は人が足りなくなって大変だから、
色々な試みで地方を何とかしていきましょうよ」って内容が多かったので、
私の目線もそっちに向いていたのですが、今回は「お金について」でした。
今回講義してくださった方曰く「消滅可能性自治体とかニュースになりましたが、
人がいなくなって消滅する前にお金なくて大変なことになるよ」って感じのようです。
まず昨日の講義資料内にあった数字で、むむむっと思ったのが、1990年から2013年までで、
国民所得はほとんど横ばいなのに、社会保障給付費は2.3倍に増えています。
社会保障給付費は、国民が払う社会保険料と税金が基本的な財源になるわけですけど、
社会保険料はご存知の通り増加していて1.6倍に増えていますが、税収は0.8倍と減っています。
この両者を足した、つまり社会保障給付費の原資は1.1倍にしか増えてません。
払う分は2.3倍に増えたのに、入ってくる分は1.1倍にしか増えてない。
そりゃ足りなくなっちゃいますよね。税金は他にも色々使われるわけですし。
足りない部分は借りるしかないので、国債を発行するわけですよね。
その結果、国債の発行額は7.2倍に増加しています。
特に地方では、人が働いて稼ぐ金額に対して、高齢者が年金としてもらってる金額の比率が
非常に高くなっていて、本来では賄いきれない比率なのだそうです。
それでも何とかやっていけているのは、今はまだ大都市圏がたくさん稼いでいるから。
大都市がたくさん稼いだ分を、地方に分配することでなんと賄っているのです。
しかし大都市でも高齢化は急激に進んでいて、大都市圏の稼ぎで地方も賄う、
という形はもうすぐ不可能になるよ、ということだそうです。
ではどうするか。
「地方は地方で持続できるように稼ぐしかない」ということになるわけです。
そのために総務省は「地域経済循環創造事業交付金」ってのを用意してるよ、ということでした。
地域に根付いた金融機関は、地域の事業に投資(融資)して、その事業主の相談に乗ったり
アドバイスしたり取引先を紹介したりと支援して、地域の資金を循環させるのが責務のはずが、
現在は預金として預かったお金の多くを国債や地方債といったリスクが低く
安定したものに使っているのだそうです。
講義で「国債は国民が背負っている、一人当たりの返済額がわからない借金だ」
というようなことが言われていました。
金融機関は融資しなどころか、預かったお金を国民の借金を増やすことに使っているわけですね。
これじゃいけないだろう、と。
しかもその借金を利子つけて返済するためには税収を増やさなくてはならない。
だから資金を循環させていっぱい稼がないといけないんだ!と。
そのために国は地方金融機関に、少しでもいけそうな事業は思い切って融資するよう言う。
言うだけじゃなかなか融資しないので、例えば事業に1,000万円かかるとして、
その全額を融資するのは難しいのなら500万円だけでも融資してくれれば、足りない分は国が
「地域経済循環創造事業交付金」ってことでどんと負担しようじゃないか、と。
理解が足りなく間違っているかもしれませんが、そんなようなことだと理解しました。
この「地域経済循環創造事業交付金」は返済不要だそうです。
新しい事業起こして儲かってくれれば、その税収でペイできる、という考えとのこと。
税収だけじゃなく、地元雇用創出効果だとか地元産業直接効果だとかもあるし、
何よりこれによって地方金融機関が融資をすれば資金の循環も始まるわけです。
これってかなり思い切ったことだと感じました。
だからこそ、本当に日本はせっぱつまってきているのだろうとも感じました。
「地域おこし協力隊を3倍にする」ということも然りです。
地方の人口減少もせっぱつまっている。
だからこそ色々な手段で都会の人を地方へ移動させようとしている。
そして人の面だけでなく、お金の面でもこのままだと大都市で地方を支えている
今の構造も崩壊してしまうから、まだ若干でもお金にゆとりがあるうちに、
大盤振る舞いしてでも事業をたくさん創出させて、資金を回そうとしている。
(「ローカル10,000プロジェクト」と銘打って、10,000社の起業を目指すんですって)
なんだか本当にリミットが近づいてきているのだなぁ、と
この連続講座を全部受講し終えて実感しました。
まだまだ消化しきれていない部分が多いのでまとめきれませんが、
とにかくこの連続講座では色々と学び、考えることができ、非常に有意義でした。
ありがとうございました。
第5回目の講義を受講してきました。
今回の内容はそれなりに身近に感じることができる内容でしたが、
非常に考えさせられる内容でもありました。
これまではどちらかというと、「地方は人が足りなくなって大変だから、
色々な試みで地方を何とかしていきましょうよ」って内容が多かったので、
私の目線もそっちに向いていたのですが、今回は「お金について」でした。
今回講義してくださった方曰く「消滅可能性自治体とかニュースになりましたが、
人がいなくなって消滅する前にお金なくて大変なことになるよ」って感じのようです。
まず昨日の講義資料内にあった数字で、むむむっと思ったのが、1990年から2013年までで、
国民所得はほとんど横ばいなのに、社会保障給付費は2.3倍に増えています。
社会保障給付費は、国民が払う社会保険料と税金が基本的な財源になるわけですけど、
社会保険料はご存知の通り増加していて1.6倍に増えていますが、税収は0.8倍と減っています。
この両者を足した、つまり社会保障給付費の原資は1.1倍にしか増えてません。
払う分は2.3倍に増えたのに、入ってくる分は1.1倍にしか増えてない。
そりゃ足りなくなっちゃいますよね。税金は他にも色々使われるわけですし。
足りない部分は借りるしかないので、国債を発行するわけですよね。
その結果、国債の発行額は7.2倍に増加しています。
特に地方では、人が働いて稼ぐ金額に対して、高齢者が年金としてもらってる金額の比率が
非常に高くなっていて、本来では賄いきれない比率なのだそうです。
それでも何とかやっていけているのは、今はまだ大都市圏がたくさん稼いでいるから。
大都市がたくさん稼いだ分を、地方に分配することでなんと賄っているのです。
しかし大都市でも高齢化は急激に進んでいて、大都市圏の稼ぎで地方も賄う、
という形はもうすぐ不可能になるよ、ということだそうです。
ではどうするか。
「地方は地方で持続できるように稼ぐしかない」ということになるわけです。
そのために総務省は「地域経済循環創造事業交付金」ってのを用意してるよ、ということでした。
地域に根付いた金融機関は、地域の事業に投資(融資)して、その事業主の相談に乗ったり
アドバイスしたり取引先を紹介したりと支援して、地域の資金を循環させるのが責務のはずが、
現在は預金として預かったお金の多くを国債や地方債といったリスクが低く
安定したものに使っているのだそうです。
講義で「国債は国民が背負っている、一人当たりの返済額がわからない借金だ」
というようなことが言われていました。
金融機関は融資しなどころか、預かったお金を国民の借金を増やすことに使っているわけですね。
これじゃいけないだろう、と。
しかもその借金を利子つけて返済するためには税収を増やさなくてはならない。
だから資金を循環させていっぱい稼がないといけないんだ!と。
そのために国は地方金融機関に、少しでもいけそうな事業は思い切って融資するよう言う。
言うだけじゃなかなか融資しないので、例えば事業に1,000万円かかるとして、
その全額を融資するのは難しいのなら500万円だけでも融資してくれれば、足りない分は国が
「地域経済循環創造事業交付金」ってことでどんと負担しようじゃないか、と。
理解が足りなく間違っているかもしれませんが、そんなようなことだと理解しました。
この「地域経済循環創造事業交付金」は返済不要だそうです。
新しい事業起こして儲かってくれれば、その税収でペイできる、という考えとのこと。
税収だけじゃなく、地元雇用創出効果だとか地元産業直接効果だとかもあるし、
何よりこれによって地方金融機関が融資をすれば資金の循環も始まるわけです。
これってかなり思い切ったことだと感じました。
だからこそ、本当に日本はせっぱつまってきているのだろうとも感じました。
「地域おこし協力隊を3倍にする」ということも然りです。
地方の人口減少もせっぱつまっている。
だからこそ色々な手段で都会の人を地方へ移動させようとしている。
そして人の面だけでなく、お金の面でもこのままだと大都市で地方を支えている
今の構造も崩壊してしまうから、まだ若干でもお金にゆとりがあるうちに、
大盤振る舞いしてでも事業をたくさん創出させて、資金を回そうとしている。
(「ローカル10,000プロジェクト」と銘打って、10,000社の起業を目指すんですって)
なんだか本当にリミットが近づいてきているのだなぁ、と
この連続講座を全部受講し終えて実感しました。
まだまだ消化しきれていない部分が多いのでまとめきれませんが、
とにかくこの連続講座では色々と学び、考えることができ、非常に有意義でした。
ありがとうございました。
2014年6月25日水曜日
「地域力創造と地域おこしのヒント」第4回
昨日は、総務省が開催している連続講座「地域力創造と地域おこしのヒント」の
第4回目の講義を受講してきました。
今回はテーマが二つあり、講師の方も2名体制でした。
参加するたびに思うのですが、一見豊かな日本も本当に色々な問題を抱えていて、
国はそれに対応するために色々な施策を用意しているんだなぁ、と。
しかも講義で聞いているのは、総務省の中での話であって他の省でもまた
それはそれで色々な課題に対して施策を用意していてるのだろうから、
これまた大変な数の課題があるってことだなぁ、と。
それらの課題や問題を、本気で解決しようと考え行動している人々には、
ただただ頭の下がる思いです。
講義の話に戻りますと、まず最初は「過疎対策の現状と課題」というテーマでした。
そもそも過疎って言葉はよく聞くし、自分でも使うことがあるけれど、
定義としてはいったいどういうことなんだろう?と思い、ネットで検索してみました。
どうやら過疎は「過密」の反対語として作られた造語だそうです。
東京への人口の一極集中が起こり、人口過密が問題となった。
そして地方では逆に人がいなくなり、町としての機能不全が起こり始めた。
それを「過疎問題」と呼ぶことにしよう、ということだそうです。
で、過疎法という法律があって、それによってどんな状態だったら過疎なのかが
明確に定められているそうです。なるほど。
講義資料によりますと、日本の地方自治体1,718の内797の市町村が「過疎関係市町村」で、
これは実際の過疎とされる市町村に「みなし過疎市町村」と「一部過疎を有する市町村」
を足した数字で、割合で言うと46.4%にもなります。
(この比率は市町村合併によって、比率が一気に高まったという背景もあります。)
過疎に関しては昭和40年代から既に問題視されていて、国が対策をずっと続けています。
しかしこれからの人口減少問題も併せて考えると、なかなか明るい見通しを立てるのは
難しそうだなぁ、というのが正直な感想でした。
次の講義は「地域情報化(電子自治体)」というテーマでした。
この講義はなかなか縁のない分野の話だったので、非常に難しかったです。
ざっくりと言えば、自治体の色々なデータ管理や処理をうまいことやって、
コストを削減してきましょうよ、ってことを国は進めていってる、と。
そのためには色々な課題や障害もあるけども、マイナンバー制も始まるし、
この機会にうまいことやって、今後のランニングコストを一気に削減しましょうよ、と。
そんな話だったのではないかな、と理解しています。
何度も書いてますが、本当に知らなかったことを知れる、良い機会になっています。
ありがとうございます。
第4回目の講義を受講してきました。
今回はテーマが二つあり、講師の方も2名体制でした。
参加するたびに思うのですが、一見豊かな日本も本当に色々な問題を抱えていて、
国はそれに対応するために色々な施策を用意しているんだなぁ、と。
しかも講義で聞いているのは、総務省の中での話であって他の省でもまた
それはそれで色々な課題に対して施策を用意していてるのだろうから、
これまた大変な数の課題があるってことだなぁ、と。
それらの課題や問題を、本気で解決しようと考え行動している人々には、
ただただ頭の下がる思いです。
講義の話に戻りますと、まず最初は「過疎対策の現状と課題」というテーマでした。
そもそも過疎って言葉はよく聞くし、自分でも使うことがあるけれど、
定義としてはいったいどういうことなんだろう?と思い、ネットで検索してみました。
どうやら過疎は「過密」の反対語として作られた造語だそうです。
東京への人口の一極集中が起こり、人口過密が問題となった。
そして地方では逆に人がいなくなり、町としての機能不全が起こり始めた。
それを「過疎問題」と呼ぶことにしよう、ということだそうです。
で、過疎法という法律があって、それによってどんな状態だったら過疎なのかが
明確に定められているそうです。なるほど。
講義資料によりますと、日本の地方自治体1,718の内797の市町村が「過疎関係市町村」で、
これは実際の過疎とされる市町村に「みなし過疎市町村」と「一部過疎を有する市町村」
を足した数字で、割合で言うと46.4%にもなります。
(この比率は市町村合併によって、比率が一気に高まったという背景もあります。)
過疎に関しては昭和40年代から既に問題視されていて、国が対策をずっと続けています。
しかしこれからの人口減少問題も併せて考えると、なかなか明るい見通しを立てるのは
難しそうだなぁ、というのが正直な感想でした。
次の講義は「地域情報化(電子自治体)」というテーマでした。
この講義はなかなか縁のない分野の話だったので、非常に難しかったです。
ざっくりと言えば、自治体の色々なデータ管理や処理をうまいことやって、
コストを削減してきましょうよ、ってことを国は進めていってる、と。
そのためには色々な課題や障害もあるけども、マイナンバー制も始まるし、
この機会にうまいことやって、今後のランニングコストを一気に削減しましょうよ、と。
そんな話だったのではないかな、と理解しています。
何度も書いてますが、本当に知らなかったことを知れる、良い機会になっています。
ありがとうございます。
2014年6月24日火曜日
生で食べられるトウモロコシ
昨日は館山市のHPの「生産者情報」に載せる記事取材で、
館山市内の農家さんの畑にお邪魔させていただきました。
今はこれから旬を迎えるトウモロコシが畑一面に植えられています。
メインとなるのは「味来」という品種です。
特徴としては甘味が強く、粒の皮が薄い、そして生で食べても美味しい。
名前に「味」とついているだけあって、味自慢のトウモロコシです。
その分、サイズはあまり大きくならなかったり、収量も少なかったりと、
けっして作り手のメリットが大きい品種ではないようなのですが、
味にこだわるこの農家さんは手間暇かけて作ってらっしゃいます。
もぎたてを生でいただきましたが、甘さとみずみずしさはもうフルーツです。
実を食べる野菜を「果菜」というそうなのですが、スイカやメロンが果物の
仲間として違和感がないように、このトウモロコシも果物と言っても違和感ないです。
他の品種として「ピュアホワイト」という真っ白なトウモロコシも栽培されてました。
こちらはさらに手間がかかるので、市場流通も少なく希少価値が高い品種だそうです。
黄色いトウモロコシを植えた場所から少なくとも300mは離して植えないと、
花粉が風で飛ばされて黄色い粒が混ざってしまうこともあるとか。
こちらも生食可能なのでもぎたてをいただきましたが、これもまた美味い。
(個人的にはピュアホワイトの方が美味しく感じました。)
甘さが上白糖を思わせるような甘さで、果汁がブシャーとなるくらいジューシー。
これまでのトウモロコシの概念が変わる1本でした。
トウモロコシは収穫後、時間経過とともに甘さが減っていくのだそうです。
なのでもぎたてが一番甘い、という理屈になります。
そのもぎたてを生で食べられた幸せ、本当にありがたい限りです。
(早朝が一番糖度が高く、その時間にもぎ取るのが最も良いそうです。)
この美味しい生のトウモロコシを食すのに簡単な方法があります。
そう、館山市に泊りがけで旅行に来て、翌朝直売所が開いたらすぐに買いに行くのです。
トウモロコシの旬は夏。海水浴がてら館山に来て旬の味覚を味わってはいかがでしょうか?
館山市内の農家さんの畑にお邪魔させていただきました。
今はこれから旬を迎えるトウモロコシが畑一面に植えられています。
メインとなるのは「味来」という品種です。
特徴としては甘味が強く、粒の皮が薄い、そして生で食べても美味しい。
名前に「味」とついているだけあって、味自慢のトウモロコシです。
その分、サイズはあまり大きくならなかったり、収量も少なかったりと、
けっして作り手のメリットが大きい品種ではないようなのですが、
味にこだわるこの農家さんは手間暇かけて作ってらっしゃいます。
もぎたてを生でいただきましたが、甘さとみずみずしさはもうフルーツです。
実を食べる野菜を「果菜」というそうなのですが、スイカやメロンが果物の
仲間として違和感がないように、このトウモロコシも果物と言っても違和感ないです。
他の品種として「ピュアホワイト」という真っ白なトウモロコシも栽培されてました。
こちらはさらに手間がかかるので、市場流通も少なく希少価値が高い品種だそうです。
黄色いトウモロコシを植えた場所から少なくとも300mは離して植えないと、
花粉が風で飛ばされて黄色い粒が混ざってしまうこともあるとか。
こちらも生食可能なのでもぎたてをいただきましたが、これもまた美味い。
(個人的にはピュアホワイトの方が美味しく感じました。)
甘さが上白糖を思わせるような甘さで、果汁がブシャーとなるくらいジューシー。
これまでのトウモロコシの概念が変わる1本でした。
トウモロコシは収穫後、時間経過とともに甘さが減っていくのだそうです。
なのでもぎたてが一番甘い、という理屈になります。
そのもぎたてを生で食べられた幸せ、本当にありがたい限りです。
(早朝が一番糖度が高く、その時間にもぎ取るのが最も良いそうです。)
この美味しい生のトウモロコシを食すのに簡単な方法があります。
そう、館山市に泊りがけで旅行に来て、翌朝直売所が開いたらすぐに買いに行くのです。
トウモロコシの旬は夏。海水浴がてら館山に来て旬の味覚を味わってはいかがでしょうか?
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