2014年7月26日土曜日

行政職員と民間人

後学のために色々と本を読んでみているのですが、
『社会を変える仕事をしよう』(日本実業出版社、佐野章二著)
という本を読んで、特に面白いと感じた部分があったので、
その部分について自分が感じたことを含めて書いてみます。

佐野章二さんは(有)ビッグイシュー日本の代表の方で、
この本もビッグイシュー日本のことを中心に、社会的企業についてや、
社会問題解決に向けた取り組みについてなどが書かれていて、
非常に興味深い内容となっています。

その本の中にこんな話が載っていました。


==以下は内容を要約したものです==

阪神淡路大震災の時に、500人いる避難所に300枚の毛布が届いた。
その避難所の責任者である行政の職員は不公平になるといけない、と
その毛布を全部倉庫の中に保管した。

これに対してボランティアの人が責任者をしていた避難所では、
届いた毛布を真ん中に山積みにして、事情を説明した上で、
譲り合って毛布を取るようにお願いした。
するとお年寄りや子ども、妊婦さんや病人など弱い立場の人から順に、
毛布がいきわたった。

==要約ここまで==


この話は結構有名な話だそうで、知ってる方もいらっしゃるかもしれません。

これを読んで「ホント行政は融通がきかなくてダメだなぁ」なんて、
考えちゃう人もいるかもしれませんが、著者の佐野さんはこの話で
行政を批判したいわけではないことは確かです。

この内容の後にこのように書かれています。


==以下引用(P154の1行目~)==

 ここには固い行政マンと柔軟なボランティアの違いという以上に、行政とボランティアの仕事の原理や方法の違いが現われている。
 行政は公平、平等を原理とするので、全体の状況が見えるまでは動けない。すぐ動くと不公平になるかもしれないからだ。これに対し、ボランティアは即時・即応、臨機応変を旨としてすぐに動ける反面、偏りを生む可能性がある。手法的には、法律に従う行政は「一律、画一、一元性、法律遵守、前例主義」になる。それに対して、ボランティアは「多様、個別、多元性、先駆的、実験的」という動き方ができるという特徴をもつ。

==引用ここまで==


どちらが良い悪いではなくて、行政と民間にはそれぞれに特徴があり、
その特徴を活かせるような役割分担をして社会問題に対応していくことが、
この複雑化・多様化した世の中では必要であるってことですよね。


私は今、地域おこし協力隊として民間人の立場で市から委嘱を受けています。

行政職員ではないのですが、現在は役所の中に机を置かせていただいてますし、
役所のお仕事を手伝わせていただいてもいます。

そんな立ち位置にいるわけですから、行政と民間それぞれの特徴の良い部分を、
うまく融合させて活動に繋げていくのが理想的なのだと思います。
しかし場合によってはその逆に、それぞれの特徴の良い部分を潰し合ってしまい、
実のある動きをとれなくなる危険もある、とも感じています。

ご縁があって館山に移住し、活動させていただいているわけですから、
自分の立場やスタンスをしっかりと見極めて活動していけたらと思っています。

2014年7月23日水曜日

大田区立館山さざなみ学校

少し前ですが、「大田区立館山さざなみ学校
という学校へ訪問する機会がありました。

さざなみ学校とは、小学3~6年生までの肥満、ぜん息、偏食、虚弱の
悩みを持つ子どもたちが、親元を離れ、全寮制の寄宿舎で生活しながら
自分の「健康回復」のために学習する学校です。

特別支援学校の一つとのこと。知りませんでした。
(詳しくはさざなみ学校のHPをご覧ください)

大田区立ですから、児童たちは東京都大田区民です。
都会から離れ館山で集団生活を送ることで、生活習慣はもちろんのこと、
自主的・実践的な態度も身につけることができるそうです。


この学校の近隣農家さんで、「農育」に取り組んでらっしゃる方がいます。
畑で収穫体験を行ったり、農家さんが学校で野菜について話したり
といった取り組みを継続的に行ってらっしゃいます。

その方の紹介でさざなみ学校にお邪魔させていただいたのですが、
その農家さんと何度も会っている児童たちはかなり打ち解けている様子でした。

この学校の給食献立を考えている栄養士の先生とお話しする機会もあり、
色々と興味深いお話を伺うことができました。

全寮制ですから、1日3食が給食です。
健康回復が目的である上に、偏食傾向をもった児童もいるため、
献立を考えるのもかなり大変だろうと思います。

その先生のお話で特に印象に残ったのは、
「顔の知っている農家さんが育てた野菜であれば、子どもたちも食べたがる」
という話でした。

偏食傾向の児童でも、収穫体験をし、その農家さんから野菜についての話を聞くと、
いつもは食べない野菜でも「その農家さんが作ったのなら食べる」となるそうです。
これははっきりと目に見える「食育・農育」の形だなと感じました。


こういった学校が館山にあることを知れたのも大きな収穫でしたし
食育・農育の一つの形を目の当たりにできたのも非常にためになりました

ありがとうございました。
【農家さんが児童に野菜について話している様子】


2014年7月16日水曜日

食のまちづくりに関しての勉強(4)

「勉強」というとやっぱり言い過ぎのような気がしますが、基本的な知識が足りないので、
本とかWebとかで色々と読み漁っております。

頭でっかち傾向のある私は、考えるばかりで答えが出ずダメダメなのですが、
その考えをまとめるため、そしてその文章を人の目にさらすことで意識を強め、
何がしかの答えに近づけるようにブログに書いちゃおうと思います。


ある本の小見出しに『「農家を守る=農業を守る」ではない!』と書かれていて、
「なるほど、確かに」と思いました。

本の内容はさておき、「農家を守る」と「農業を守る」はかぶる部分はあれど、
相反する部分もあることは確かなような気がします。

特に現在の日本の農家さんは、多くが高齢者となっています。
父親や祖父の代からその土地を耕し、これまでのやり方で数十年も農業を行ってきました。
なので今起ころうとしている大きな変化になかなか対応しきれない人が多いのも事実です。

しかし日本のこれからの農業を考えると、これまでのやり方を変えねばならず、
それは場合によってはこれまでずっと農業をしてきたベテラン高齢農家さんを、
ある意味排除するような形になってしまうかもしれません。

耕作放棄地が増えてきているのは、農業をやる人が減ってきているから。
農業をやる人が減ってきているのは、農業はしんどくて儲からないから。
という論理が成り立つとすれば、「では農業をしんどくなくて儲かるようにしよう」
という風に考えるのは当たり前のような気もします。

しかし農業には、「しんどくて儲からなくてもやる意味」があることも確かです。
日本の文化を守るためであったり、自然環境や景観をまもるためであったり。

農業を産業として自由競争で儲かることができる仕組みにしていこう、という考えと、
農業を公共・福祉事業と考えてみんなで支えていきましょう、という考えと、
二者択一ではなく、バランスを取らなくてはならないことはわかるのですが、
私はやはり、少なくとも優先順位は必要な気がするのです。

色々な意味で国にゆとりがあれば「両方同時に進めていきましょう」で
両方ともうまくいく可能性も高いとは思うのですが、
現在の日本は、色々な意味でゆとりがない国だと思うのです。

Aを作るのに100円かかります、Bを作るのにも100円かかります。
両方必要であることはみんなわかっています。
といった状況で、200円持っているのなら両方の材料買って両方作れば良いけど、
100円しか持っていない場合はどうでしょう?

AとBの材料をバランスよく50円ずつ買いました。
結果AもBも作れませんでした、ってのはいかがなものかと思うのです。

これは別にお金だけのことを言いたいわけではなく、リソース全体のことです。

お金も人もエネルギーも、無限にあるならごり押しでも良いのでしょう。
しかしそれらが限られていて、しかもあまり多くないって時は、
何か作戦を考えなくてはならないと思うのです。

で、その作戦で成功していると思われるのは、一極集中・一点突破ではないかと思います。
少ないリソースでも、何かに集中して注ぐことで他より優れることができるのかな、と。

その例としてオランダが面白い気がします。たまたまWebでみつけました。

オランダの農地面積は日本の半分以下なのに、農業輸出がアメリカに次ぐ世界2位だそうです。
「え?面積小さいのにどうやってそんなことができるの?」と思いましたら、輸出額が多いのは
観賞用の花卉やタバコ、チーズで、それらの原材料は輸入しているとのこと。
つまり加工して付加価値つけて売る、ってビジネスモデルなのですね。

さらにオランダは、自分の国で栽培している野菜もそれなりに頑張っているのですが、
それも土地が狭いもんだから作る品目をかなり限って栽培しているそうです。

ものすごい割り切り方だなぁ、と思いました。
国としてこれだけ割り切ってやっていくのは文化だろうなぁ、とも思います。

日本とは文化も状況も何もかも違うわけですし、別にオランダのやり方が良いから、
そのやり方に習うべきだ、と言いたいわけでもないです。

というよりも、上に述べてきたことは「資本主義の中で国際競争に挑むのであれば」
という前提での話であり、別な選択肢として「競争をやめる」という方法もあると思います。
私的には、それができるのが一番だと考えていたりもします。
(けどそれは土台無理な話なので、いったん置いておきまして。)

ちょっと話を広げすぎましたので、突然ですが無理やりまとめます。

あれもこれもそれも、全員の都合の良いように色々とことをバランス良くやれるに
越したことはないのはわかっていますが、それはゆとりがある場合のみ。
つまりこれまでの日本だったらそれも良かったのだと思います。

けどそのゆとりがなくなった今、そのやり方で競争に勝つことは無理でしょう。
そしてその競争をしないというのも無理でしょうし、
「競争に負けても良いや」と考えるのも無理でしょう。

で、勝たなきゃいけないならやっぱり取捨選択して優先順位つけて、
限りあるリソースを一極集中して戦う方法しかないんじゃないかな、と。

けどその取捨選択したり優先順位つけたりするのが、色々な文化・慣例・しがらみなんかで
なかなかできない状況にあるんだろうなぁ、と思うわけです。

国という大きな枠組みでなくても、市町村単位でも、場合によっては家族とか個人単位でも、
同じことが言えるのかもしれませんね。

うーん、文章の出だしと最後がちょっとズレちゃった気もしますが、ご容赦下さい。

2014年7月2日水曜日

「地域力創造と地域おこしのヒント」第5回

総務省が開催している連続講座「地域力創造と地域おこしのヒント」
第5回目の講義を受講してきました。
今回の内容はそれなりに身近に感じることができる内容でしたが、
非常に考えさせられる内容でもありました。

これまではどちらかというと、「地方は人が足りなくなって大変だから、
色々な試みで地方を何とかしていきましょうよ」って内容が多かったので、
私の目線もそっちに向いていたのですが、今回は「お金について」でした。

今回講義してくださった方曰く「消滅可能性自治体とかニュースになりましたが、
人がいなくなって消滅する前にお金なくて大変なことになるよ」って感じのようです。

まず昨日の講義資料内にあった数字で、むむむっと思ったのが、1990年から2013年までで、
国民所得はほとんど横ばいなのに、社会保障給付費は2.3倍に増えています。

社会保障給付費は、国民が払う社会保険料と税金が基本的な財源になるわけですけど、
社会保険料はご存知の通り増加していて1.6倍に増えていますが、税収は0.8倍と減っています。
この両者を足した、つまり社会保障給付費の原資は1.1倍にしか増えてません。

払う分は2.3倍に増えたのに、入ってくる分は1.1倍にしか増えてない。
そりゃ足りなくなっちゃいますよね。税金は他にも色々使われるわけですし。

足りない部分は借りるしかないので、国債を発行するわけですよね。
その結果、国債の発行額は7.2倍に増加しています。

特に地方では、人が働いて稼ぐ金額に対して、高齢者が年金としてもらってる金額の比率が
非常に高くなっていて、本来では賄いきれない比率なのだそうです。
それでも何とかやっていけているのは、今はまだ大都市圏がたくさん稼いでいるから。
大都市がたくさん稼いだ分を、地方に分配することでなんと賄っているのです。

しかし大都市でも高齢化は急激に進んでいて、大都市圏の稼ぎで地方も賄う、
という形はもうすぐ不可能になるよ、ということだそうです。

ではどうするか。

「地方は地方で持続できるように稼ぐしかない」ということになるわけです。
そのために総務省は「地域経済循環創造事業交付金」ってのを用意してるよ、ということでした。


地域に根付いた金融機関は、地域の事業に投資(融資)して、その事業主の相談に乗ったり
アドバイスしたり取引先を紹介したりと支援して、地域の資金を循環させるのが責務のはずが、
現在は預金として預かったお金の多くを国債や地方債といったリスクが低く
安定したものに使っているのだそうです。

講義で「国債は国民が背負っている、一人当たりの返済額がわからない借金だ」
というようなことが言われていました。
金融機関は融資しなどころか、預かったお金を国民の借金を増やすことに使っているわけですね。

これじゃいけないだろう、と。
しかもその借金を利子つけて返済するためには税収を増やさなくてはならない。
だから資金を循環させていっぱい稼がないといけないんだ!と。

そのために国は地方金融機関に、少しでもいけそうな事業は思い切って融資するよう言う。
言うだけじゃなかなか融資しないので、例えば事業に1,000万円かかるとして、
その全額を融資するのは難しいのなら500万円だけでも融資してくれれば、足りない分は国が
「地域経済循環創造事業交付金」ってことでどんと負担しようじゃないか、と。

理解が足りなく間違っているかもしれませんが、そんなようなことだと理解しました。


この「地域経済循環創造事業交付金」は返済不要だそうです。
新しい事業起こして儲かってくれれば、その税収でペイできる、という考えとのこと。
税収だけじゃなく、地元雇用創出効果だとか地元産業直接効果だとかもあるし、
何よりこれによって地方金融機関が融資をすれば資金の循環も始まるわけです。

これってかなり思い切ったことだと感じました。

だからこそ、本当に日本はせっぱつまってきているのだろうとも感じました。

「地域おこし協力隊を3倍にする」ということも然りです。
地方の人口減少もせっぱつまっている。
だからこそ色々な手段で都会の人を地方へ移動させようとしている。

そして人の面だけでなく、お金の面でもこのままだと大都市で地方を支えている
今の構造も崩壊してしまうから、まだ若干でもお金にゆとりがあるうちに、
大盤振る舞いしてでも事業をたくさん創出させて、資金を回そうとしている。
(「ローカル10,000プロジェクト」と銘打って、10,000社の起業を目指すんですって)

なんだか本当にリミットが近づいてきているのだなぁ、と
この連続講座を全部受講し終えて実感しました。

まだまだ消化しきれていない部分が多いのでまとめきれませんが、
とにかくこの連続講座では色々と学び、考えることができ、非常に有意義でした。

ありがとうございました。